【7】指月~モデリングの落とし穴~

 禅の言葉に“指月(しげつ)”というものがあります。
 この言葉、以前からご紹介したいと思っていたのですが出典が分かりませんでした。
 今回はとりあえず、私がこの言葉に出会った「マンガ禅の思想」から引用させていただきます。

【月を指すとは】
 無尽蔵尼(むじんぞうに)が六祖慧能(ろくそえのう)に問うた……。
「私は涅槃経(ねはんきょう)を長年研究していますが、わからない所がまだ多くあります。教えていただけませんか」
「私は字を知らない。あなたが経文を読んでくだされば、そこに含まれるおよその真理を解くことができるかもしれない」
「字も知らないあなたがどうして真理をつかみとれるのです」
「真理は文字とは関係ない! 真理とは空にかかる明月のようなものだ。文字は私たちの指のようなもの。指は明月のありかを指すことはできるが、指そのものは明月ではない。月を眺めるのに必ずしも指を通して眺める必要はないのでは?」

 言葉や文字は、真理を表わすための仮のもの、つまり、我々を悟りの境地に導く手段にすぎない。文字を真理と思い込むのは、指を月だと思いこむような愚かしさではないかな。

「マンガ禅の思想」(講談社+α文庫)より引用

 この言葉で彷彿させられたのが、私が過去出会った“データモデリング担当者”によく見られた姿勢です。彼らの多くは「データモデリングの一つの帳票である“データ構造図(※)”を描くこと」に多大なエネルギーを費やし、出来上がった図はマニアックな表記になり、関係者には分かりにくい表記となってしまいました。(いわゆる「モデリングのためのモデリング」)

※ERD(Entity-Relationship Diagram)とも言います。

 本来、管理対象やそのデータ項目の本質的な定義(“明月”)を議論するための、一つの表現にしか過ぎないデータ構造図(“指”)に重きが置かれ過ぎ、議論そのものがなおざりになる。
 こうした現場の経験もあり、概念DOAは“データ構造図”と同等、又はそれ以上に“管理対象やデータ項目の定義書”を重視しています。(拙書「どこでもDOA」でも、データ構造図の登場は後半にでてくるだけです)

 ちなみに、私が現場ユーザーの方とデータ構造図のレビューをする場合、まず「データ構造図で表わされた ルールを言葉(口頭)で表現する」様にしています。(「あなたが経文を読んでくだされば……」の下りと同じですね)
 「データ構造図を読むこと」が目的ではなく「図に表わされた“業務ルール(定義)”をレビューすること」 が目的なのですから。