【3】名家~概念DOA的ご紹介~

 拙著「どこでもDOA」の“はじめに”に、古代中国の名家についての記述がありますが、今回はこの点を補足させて頂きます。

 古代中国の春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)は、まさに群雄割拠の時代であり、その中で 多くの思想家が頭角を現してきました。彼らを総称して“諸子百家”と言われます。かれらの思想の中でも私が注目するのは、“実”と“名”との関係及び“名”と“名”との関係です。

 この点、江連隆氏の「諸子百家の事典」から以下引用します。

 「名」(言葉・名称)と、「実」(事物・内容)との関係を考える、あるいは、その両者を正しく対応させるべきことは、春秋時代に始まっている。有名なのは、その両者の関係を正すことからよい政治が生まれるという、孔子の「正名」思想である。
 またこれを、「実」の政治的な運用面に重点を置いて「術」としたものが、法家の「法術」であり、そして「刑名」思想である。
 さらに、抽象概念としての「道」を説く道家は、これと具体的な言葉との関係を考えるために、しばしば「名」を論じている。名家の人たちも、道家に大きな関心を寄せている。

 戦国時代に入ると、言葉に頼る議論や説得が、ますます重視されるようになってくる。

その原因の1つは、自分の考えをいかに巧みに表現するかという言語技術が、いっそう必要な時代を迎 えたためである。  (…略…)「縦横家」は、説得の技術を政治や外交面にフルに発揮した人たちだ。(…略…)

 原因のもう1つは、思想家や政治家たちの“世界”が、否応なく拡大されてくる、という時代背景があ る。
 今までは多く、限られた仲間と限られた話題で済んでいた。しかし、諸国間の交流が盛んになってくると、初対面の人や不特定の人とのコミュニケーションの機会も多くなる。“他国”の人に対しては、発音は別としても、同じ語句の意味内容が一致しない、という場面が頻繁に起こってくる。これこそは、議論や説得以前の、根本的な問題だ。

 そこで、言葉とその意味、言葉とそのさし示す実体との関係を改めて検討しなおす「意味論」的な問題 が浮上してきた。

 また、“世界”の拡大により、社会の激変によって、新しい概念や事物が次々に生まれてくる。それに対応する「言葉」やその「意味」の検討や確定も、大きな問題となってきた。──今日の、マルチ・メ ディアによる拡大と、何とよく似た状況だろうか。

 この世相を反映して、この時代から漢代にかけ、意味の確定や方言の理解などのために、字書があい次いで編纂されていくのも、興味深い現象である。(…略…)

 こうした背景の中から、「名」と「名」との論理関係を追究する人が登場してきた。『荘子』天下編では、「弁者」と呼ばれている。また『史記』において初めて、「名家」と呼ばれるようになった。(… 略…)

 戦国時代において、言葉と事物、言葉の意味や概念、判断や推論などの問題を追究するというのは、言語学や論理学上の歴史として驚くべきことである。このまま、発展していけば、世界史上にも特筆するべき学問が確立したのだが、同時代からすでに批判も強く、その詭弁性もあって、秦の天下統一以後は、ほとんど姿を消してしまう。

江連隆著「諸子百家の事典」(大修館書店)より引用

 名家の悲劇は、その最盛期が「自国にとって、短期的直接的に、具体的な利益となる思想」が最も必要とされた“戦国時代”であったということ、さらに、名家の主張の真意を取り違えた詭弁を弄する者が多かったことから、正当な評価を得ることができなかったことです。

 しかし、現代においては、彼らの思想が(すべてではないにせよ)重要な示唆を私たちに与えてくれていま す。
 この名家の中でも、私が注目しているのが公孫竜です。彼の最も代表的な「白馬非馬論」では、「馬」「白 馬」「白」という3つの「名」の関係について論じられていて、概念DOAとしては非常に興味深い内容と なっています。
 彼の思想については、別のコラムでご紹介します。