【4】公孫竜「白馬非馬論」~概念DOA的ご紹介~

 拙著「どこでもDOA」の“はじめに”に、古代中国の名家を代表する公孫竜(こうそんりゅう)の白馬非馬(はくばひば)論についての記述がありますが、今回はこの点を補足させてます。

 公孫竜は、紀元前320年ごろから紀元前250年ごろの趙国の人で、その著作とされる「公孫竜子」は (14編あったと言われますが、)現存しているものは6編で、その内「跡府編」は後に門人が付け加えたものとされて、残る5編が本当の著作と考えられています。けれども、この5編にも後代の誤写などで誤った文字や文が入り込み、内容が難解なものになってしまっています。(これらを「衍字(えんじ)」「衍文(えんぶん)」といいます)

 さて、この公孫竜子の1編「白馬論」にもこうした衍字・衍文が多いことから、原文のままではなく、文学博士である天野鎮雄氏がその著作「公孫竜子」で校定されたものを、以下ご紹介します。

 白馬は馬に非(あら)ずとは、可(か)なるか。
 [白馬非(レ)馬、可乎。]
 曰(いわ)く、可なり。
 [曰、可。]
 曰く、白馬有れば、馬無しと謂(い)ふ可(べ)からざるなり。白馬の馬に非ずと為(な)すは、何ぞや。
 [曰、有(二)白馬(一)、不(レ)(レ)(レ)(レ)馬也。爲(二)白馬之非(一)(レ)馬、何也。]
 曰く、白馬有るを以(もっ)て馬有りと為さば、馬有るを謂ひて黄馬(こうば)有りと為すは、可なるか。
 [曰、以(レ)(二)白馬(一)(レ)(レ)馬、謂(レ)(レ)馬爲(レ)(二)黄馬(一)、可乎。]
 曰く、未(いま)だ可ならず。
 [曰、未(レ)可。]
 曰く、馬有るを以て黄馬有るに異(こと)なると為すは、是(こ)れ黄馬を馬に異にするなり。黄馬を以て馬に非ずと為して、而(しこう)して白馬を以て馬と為すは、此(こ)れ飛ぶ者池に入り、而して棺(かん)・槨 (かく)(ところ)を異(こと)にするなり。馬は色に取ること無し。白馬は色に取ること有り。故(ゆえ)に曰 く、白馬は馬に非ず。
 [曰、以(レ)(レ)馬爲(レ)(レ)(二)黄馬(一)、是異(二)黄馬於馬(一)也。以(二)黄馬(一)(レ)(レ)馬、而以(二)白馬 (一)(レ)馬、此飛者入(レ)池、而棺槨異(レ)處。馬者無(レ)(二)於色(一)。故曰、白馬非(レ)馬。]

 問者「白馬は馬でないと言ってよいか」
 答者「それでよい」
 問者「白馬があるならば、一般に馬がないと言うことができない。それにもかかわらず、白馬を馬でないとするのは一体どういうわけか」
 答者「君の言うように、白馬があるからと言って馬があるとするならば、それでは、馬があるからと言って、それは、黄馬があるとなして、よいか」
 問者「それはよくない」
 答者「今、君は馬があるのは黄馬があるのとは違うとするが、それは、黄馬を馬と違うものとするもの である。黄馬を馬でないとしながら、他方白馬を馬であるとするのは、まさに飛ぶ鳥が池でおよぎ、内棺を外に、外棺を内に置くように、全く矛盾している。一体、馬というものは色に固執しないものであり、 白馬というものは色に固執しているものである。それゆえ、色に固執している点において、白馬は馬でな い、というのである」

天野鎮雄著「公孫竜子」(明徳出版社)より引用

 この天野氏の著書を参考文献として、江連隆氏は次の様に説明しています。

 「馬」は抽象的な言葉であり、つまり具体的に存在する馬a・b・c…nを総括した言い方。そして、そのそれぞれの馬は、白・黄・茶・黒…と、ある特定の色を持っている。一方「白」は、紙・雲・布・ 壁…と、種々の物に冠することもできる。
 したがって「白馬イコール馬」である、とは言えない、という主張である。
 以上の、言葉の抽象性にしても、その論理や判断の下し方にしても、現在の言語理論とまったく同じ視点からの議論である。驚くべき着眼と洞察であろう。
 この「白馬非馬論」は、たいへん有名になった。それだけに批判も多く、たとえば墨子は(…略…) あっさり切り捨てている。

江連隆著「諸子百家の事典」(大修館書店)より引用

概念DOA的考察~江連氏の説明から~

 さて、ここで一旦文献から離れ、概念DOAから白馬非馬論をみていきましょう。
まず、江連氏の説明をみると「“馬”は具体的に存在する(個々の)馬を総括した言い方」とあります。とすればこの“馬”の概念単位は“個々の馬”であり、キーとしては“個体識別番号”が考えられるでしょう。そして、“個々の馬”にはその属性として何らかの特定の“色”があり、この内「色が白い(個々の)馬」はこの“個々の馬”に含まれます。
したがって「白(い色の)馬 “イコール” (個々の)馬」とは言えないことになります。

 なお、これを構造図で表現すると次の様になります。

概念DOA的考察~「馬」という概念~

 江連氏の説明は、概念DOA的に言えば「概念の“範囲”の問題」ということができます。一方、天野氏の訳の「馬というものは色に固執しないものであり、白馬というものは色に固執しているものである」に着目すると、これは「個々の馬に関する議論ではなく、“ウマ(ウマ目ウマ科)”といった動物の種類(分類)と、“白いウマ”という“ウマ”の下位レベルの種類(分類)との関係を議論しているもの」とみることもできます。
 この場合、この“馬”の概念単位には形状などの条件項目が含まれますが、色の条件項目がないと考えられます。対して、“白馬”の概念単位には(“馬”の概念単位に加えて)色の条件項目が含まれると考えられます。
したがって「(概念単位に色を含む)白馬 “イコール” (概念単位に色を含まない)馬」とは言えないことになります。

 なお、これを構造図で表現すると次の様になります。